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辰吉三代物語【42】負けて謝る父に寿希也が激怒「アホ!何で謝るねん」

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辰吉三代物語42」負けて謝る父に寿希也が激怒「アホ!何で謝るねん」

デイリースポーツ 関西ゆかりの人間物語2017年03月10日10時00分
 【辰吉三代物語42】

 2008年10月26日。丈一郎はバンコクでリングに立った。日本から付き添ったのはるみの兄、徳丸俊逸らでジム関係者は帯同しなかった。トレーナーの菅谷浩之も復帰に反対し福井に帰っていた。

 唯一のボクシング関係者は元日本ランカーでアマチュアジムを経営する戎岡彰。現役時代から丈一郎の弟分だった戎岡は「無事にリングから降ろすことだけを考える」と語った。そばにいる者、突き放した者、それぞれが丈一郎を思い、苦悩を抱えていた。

 日本での最後の試合から5年がたち、世界は動いていた。丈一郎から奪ったベルトを14度防衛したウィラポンはすでに王座を陥落。破ったのは長谷川穂積だ。ウィラポンを返り討ちにしてさらに防衛回数を重ね、絶対王者への道を歩んでいた。

 丈一郎を取り巻く環境も変わった。長男寿希也は中学を卒業。同時にプロを目指して大阪帝拳に本格的に入門した。小学生になった次男寿以輝も兄と一緒にジムに通い始めた。丈一郎が息子たちにボクシングを強いたことはなかったが、2人は幼少期からグローブを手にしてきた。父が長いトンネルにいる間に、息子たちも同じ道を歩み出していた。

 バンコクのラジャダムナン・スタジアムで開催された10回戦。38歳の丈一郎は20歳のタイランカー、パランチャイを左ボディーで倒して2回TKO勝ち。かすかな光が見えたかに思えた。

 しかし、09年3月8日の復帰第2戦は19歳の新鋭サーカイに7回TKO負け。3回にダウン、7回に左フックを浴びたところで陣営がタオルを投げ込んだ。体を支えられるように控え室に戻る屈辱の敗戦だった。

 わが道を突き進んだ末、異国で倒れた丈一郎に寿希也が怒りをぶつけたのがこの時だ。試合後、ファンに謝罪した丈一郎は寿希也にも電話で「ごめんな」と謝った。寿希也は言い放った。「父ちゃんのアホ!何で人に謝るねん。オレにも謝らんでええ。自分に謝れ!」。横で聞いていたるみが驚くほどのけんまくだった。

 「何も恥ずかしいことない。負けようと思ってリングに上がるやつなんておらへんねん」。それはまるで粂二の言葉のようだった。

 丈一郎はその時を振り返る。「我に返った。お前のためにタイに行って勝つなんて一言も言ってない。そんなん言われても迷惑やな。あの子も『辰吉』やったんや」

 この敗戦が現時点で丈一郎の最後のリングだ。健康問題を危惧する日本ボクシングコミッション(JBC)は、タイ側に試合を認めないように要望。WBCのスライマン会長も同様の要望を出し、タイとつながりが深いWBAにも歩調を合わせるように要請した。世界への道は断たれた。

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