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辰吉三代物語【44】辰吉やもん。辰吉やからやっとんねん

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辰吉三代物語44」辰吉やもん。辰吉やからやっとんねん

デイリースポーツ 関西ゆかりの人間物語2017年03月17日10時00分
 【辰吉三代物語44】

 タイで“最後の試合”に臨んだのは09年3月8日だった。その後も丈一郎は一貫して「世界王者に返り咲く」とトレーニングを続けてきた。目指すのは「3度目の返り咲き」。4つめのベルトだ。

 大阪帝拳は「出入り禁止」のまま。大阪、兵庫の3つのジムを渡り歩く週6日のジムワークと、ロードワークが生活の基本だ。ウエートはいつでもバンタム級に落とせるように一日1食で58キロ前後をキープしている。

 タイでの試合以降、収入はない。今の生活は貯金が支え。「父ちゃんの教訓。お金はしんどい思いをしてもらう物。楽して稼いだ金はしょうもないことに使う」と安易な金もうけを嫌う。

 世界王者時代、多くのボクサーがトランクスにスポンサー名を入れる中で家族の名だけにこだわった。相次ぐCMオファーもほとんど受けず、カップ焼きそばのCMに3千万円のギャラを提示されてもあっさり断った。後にその焼きそばが1年分用意されていたと聞くと、そちらの方を悔しがった。

 20年以上前から同じ3LDKの賃貸マンションに住み、着る物はほとんどジャージー。「雨が降ってもぬれへん」と、バッグ代わりにスーパーの袋を愛用する。

 2011年にWBCは丈一郎に殿堂入りを打診。4つめの“ベルト”を贈ると伝えた。しかし、本人は「オレは現役。ベルトは試合に勝ってもらう物」と辞退した。ぜいたくや栄誉には、かたくななほど価値を見いださない。

 試合のメドがたたない中、ジム経営などの副業を持ってもバチは当たらないだろう。しかし「ボクシングがおろそかになる。練習を一生懸命することが(復帰への)アピールになる。それしかないと思っている」とるみは代弁する。スポンサーもタニマチも受け入れない。「それをすると辰吉じゃない」と妻は言う。

 「辰吉でいたい」「辰吉であるために」と丈一郎はよく口にする。2人の息子にも「辰吉の名に恥をかかすな」と教え込んだ。名の由来は「辰吉丸」という船だと父から聞いた。船はどこに向かうのか。「それは自分でわかってる。行く先は光ってるよ」と迷いはない。

 そんな丈一郎を笑う人がいる。父の戦う姿をほとんど見ずにプロボクサーになった寿以輝は、この世界の厳しさを知り始めた。それでも疑うことはない。「他人は関係ない。父ちゃんはベルトを獲ると思う。獲るまでやり続ける」

 ボクシングをやめた寿希也は会社員として働いている。弟のデビュー後、トレーナーの道を視野に入れた。父と弟。2人のボクサーを支えられるのは、長男の他にいないのかもしれない。

 「見たことのない景色が見たい」と丈一郎は言う。髪には白い物が交じり始めた。現役を続ける先には何が見えるのか。粂二は今、何と言うだろう。「まだやっとんのか。たいしたもんじゃのう」。そんなところか。丈一郎はこう返す。「だって辰吉やもん。辰吉やからやっとんねん」

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