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辰吉三代物語【38】『打倒ウィラポン』だけが支え

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辰吉三代物語38」『打倒ウィラポン』だけが支え

デイリースポーツ 関西ゆかりの人間物語2017年02月24日10時00分
 【辰吉三代物語38】

 粂二がいなくなり、るみは夫を一人で支える自信をなくしていた。現役続行にも反対した。

 トレーナーの菅谷もウィラポン戦での倒れ方に不安を覚えていた。後頭部を打ち付けるように倒れたあの試合では、倒れながらもまだ無意識に足を踏ん張るしぐさを見せていた。それが浪速のジョーの生きざまとわかっていても、ダメージの蓄積は明らかだ。「もうやめよう。命あっての物種だ」と諭した。

 しかし、四面楚歌(そか)の状況でも丈一郎はとりつかれたように「死んでもウィラポンに借りを返す」と言って聞かなかった。父の死の直前に大の字にされた屈辱は、悲しみとともにふくれあがっていくようだった。

 「打倒ウィラポン」の思いを奪えば壊れてしまうだろう。るみと菅谷は苦渋の決断をした。ウィラポンとの再戦に限り、しかもそれを最後にするという条件で再起を認めた。

 1999年8月29日。その試合は「Final Chapter(最終章)」と銘打たれた。場所は大阪ドーム。ただ、丈一郎の精神状態は変わらず、夜になると粂二を思い出して泣いた。

 この頃の菅谷の「練習メモ」は極端に字が乱れている。「こんな状態で試合をするのか?俺がこんなでどうする」「何をしたらいいか全くわからない」。心の声を吐き出すような言葉の数々がある。「やっぱり俺は試合をやりたくない。辰吉を無事に家族の元に戻すことが俺の仕事だろ!」。菅谷自身が追い込まれているのがわかる。

 試合に向けたキャンプは、恒例の和歌山・白浜ではなく菅谷の地元福井で行われた。大阪から白浜に行くには岡山へ帰る時と同じ道を通る必要がある。それを避けたかった。菅谷の家族がいる福井の自宅を拠点にしたのは、トレーニングより心のケアに重点を置いたためだった。

 キャンプは25キロの木製ハンマーでタイヤをたたくまき割り風トレーニングなど異例のものが多かった。菅谷は振り返る。「一瞬でも気持ちが楽になるように、今までと違うことをやらせようと思った。そうでないと練習にならなかった」。ミット打ちやロードワークでは途中で泣きだしてしまう。不安定な精神状態が続き、るみを福井に呼び寄せたこともあった。

 この頃の丈一郎は、粂二と同じことをしようとした。わざわざ鍋でご飯を炊き、寿希也と寿以輝には強い岡山弁で話しかけた。粂二が自分に言っていたような説教も繰り返した。

 父の死を受け入れられない日は続いた。このままリングに上がれるのか。菅谷のノートには「神様、おやじさん、辰吉を守ってやってください。お願いします」と書かれている。試合は近づいていた。

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